1979-02-20 第87回国会 参議院 外務委員会 第3号
これ自身国際情勢全部にわたる判断を要する問題でございまして、これはむしろ外務省の方からお答えした方が適当かと存じますけれども、純軍事的な面から申し上げますと、まず第一に、われわれとしては、中ソ国境方面につきましては、いまのところ何ら新しい動きがあるというふうな情報に接しておりません。
これ自身国際情勢全部にわたる判断を要する問題でございまして、これはむしろ外務省の方からお答えした方が適当かと存じますけれども、純軍事的な面から申し上げますと、まず第一に、われわれとしては、中ソ国境方面につきましては、いまのところ何ら新しい動きがあるというふうな情報に接しておりません。
だから、いわゆる日本人の開拓団と朝鮮等からの開拓団と二通りあったわけですけれども、特に日本人の開拓団については北満の国境方面それから、いわゆる「交通、産業開発上ノ重要地点ニ定著セシムル」こういう基本的方針を持っておるわけです。これはもういわゆる辺境守備のための国策以外の何物でもない。
より問題になりますのは、さらに奥地のほうに目を転じますと、中ソ国境方面におきましては、周恩来中国首相の言明によりますと、ソビエトは国境線に百万の大軍を集中し、モンゴル共和国には三十万の兵力を配置しておるということであります。
○愛知国務大臣 ラオス国境方面その他における軍事情勢等につきましては、政府委員から御説明いたさせたいと思いますけれども、政府としては、ただいまもお触れになりましたが、二月八日に南越のチュー大統領が、南越軍のラオス進攻を発表した直後に、ラオス政府が声明を発表しておりますが、これはもう御承知のとおりですから一々読み上げませんけれども、要するに、一つはラオスの主権、中立、不可優性というものを、関係諸国が保障
○田畑委員 最初に私外務大臣にお尋ねをいたしますが、先般のカンボジアの政変によりまして御承知のように南ベトナムとの国境方面ではいま非常な混乱が起きておるわけです。このような状況では戦火がインドシナ全地域に広がるという危機すら感ずるわけでございますが、けさほどの新聞の報道等によれば、すでに解放戦線の軍が首都プノンペンの五十四キロ南に接近しておる、こういうような報道も伝えられておるわけであります。
諸国がイスラエルと平和条約でも結んで、イスラエルという国の存在を認める、国連のメンバーとして認める、そういうことと、そのイスラエルの安全から見て必要なアカバ湾の自由通航あるいはスエズ運河の通航の自由、こういうものを国際的な約束等で確保する、さらには、たとえばシリアの国境においても、シリア領内ではあるけれども、そっちからいつでも大砲で撃ち込めるというようなことのないようにとか、撤兵するにあたっての国境方面
私も先ほど申し上げましたように長時間話をいたしましたが、要するに、シアヌーク元首は、カンボジアはいま幸いに非常に平和で、まあ国境方面のいざこざはベトナムとも一またタイともありますけれども、しかし国内は至って平和であります。
当時の状況からいたしまして、この二十万の軍民の御遺骨につきましては、若干居留民で葬ったというような事跡もあるのでございますけれども、国境方面につきましては、その後どういうふうな状態になっておるかということを確認する方法がないような現状でございます。
当時の樺太の事情は、いろいろ御承知の方も多いと思いますが、私、国境方面のエストルという地区におりまして、その地区は陸岸あるいは海岸からの双方からソ連軍が上陸しました。ちょうどはさみ撃ちになったような関係でありまして、住民の大半は、東海岸の鉄道のある地点に十数万の人間が避難をしたのでございます。
また先だっての火曜日におきましては、北朝鮮の国境方面で、共産軍のミグ飛行機が米軍の飛行機を攻撃しております。こういうふうな事態が一方においてあるにかかわらず、総理が、第三次世界戦争の危険が遠のいた、こう簡単に判断されますことは危険だと思うのでありますが、一体外務大臣はこれに対してどういうお考えでありますか、伺いたいと思います。
かような見地におきまして、中共が若し真に中国的見地からこの朝鮮の国境方面に対しまして、軍事的、政治的並びに経済的のいろいろな要求を持つということは、これは極めて私は妥当ではないか。殊に経済的には皆様も御承知のように、あの鴨緑江を中心とするところの水力電気のこの供給に対しては、死活的な緊要性を持つておることは勿論でございます。
中共が、中国の立場から、満鮮国境方面の軍事的、政治的並びに経済的事態に対して重大なる関心を拂うことはもつともであります。しかし、今度の中共の朝鮮出兵に関する動機が右のような純粋に中国的なものであるならば、台湾問題に関して中央代表が国連総会に出席する機会に、国連側と十分話し合つた上、合理的な解決に到達することが可能であると信じます。
につきましていろいろ伝えられておりまするが、例年十月の雨季明けになりますとこのような情勢を呈しておつたのでございまするが、ことに本年はホー・チミン軍が九月十六日の拂曉に、中国との国境にあります仏軍の前哨拠点となつておりますドンケーに、約四、五箇大隊からなる攻勢を開始いたしまして、十八日にそれを占領、続いて九月二十六日にパカー、十月三日にカオバン、十月十七日にはドンダンと次々にだんだん占領いたしまして、二十一日には国境方面仏軍司令部
その時の降雨状況を申上げますと、静岡県方面沿岸地方が約二百ミリ、それから信州との国境方面が約五百ミリ以上、それから信州の南部地区にやはり五百ミリを越す程度の雨をもたらしたわけでございます。
特にソ連憲法に明示してあるごとく、外国の情報を蒐集するスパイ行為を行う、社会的な利益を侵害する、国家を危うくするというような見地におきまして、敗戰前の行為、即ち昭和二十年の八月ソ軍が進駐以前におきまして国境方面に主として重点的に行使された日本軍のソ連に対する諜報的な行為は勿論のこと、更に今共和国になり、民主国家として新たに成立しました中国の利益を侵害した共通的な行為、こういう点については非常なる力を
○山田参考人 私は爾来満軍におりましたのですが、終戰当時、関東軍の情報部の方に籍がありましたものですから、工作に七月下旬に国境方面へ出ておりまして、終戰になつたのがわかりませんでした。
最終の列車出た後、国境方面よりの兵隊はトラツクで先へ行く女子供の多い開拓団は置きざりを受ける様な、ごつた返し、麻山附近にさしかかつたのが八月十二日午后でした。もう此の時、国境へ通ずる道路有りソ軍が入つていて、如何ともするあたわず、此処に哈達河開拓団員の最後となつたのであります。あの時あの場合、致し方無しとは云へ、実に軍国主義の犠牲に終つた事余りに可愛相です。
○説明員(武野義治君) 開拓団関係の、特に国境方面における開拓団関係の終戰後の状況につきましては、私共政府側の者といたしましても、又從來いろいろ満洲における各般の事情についてその発展に協力、努力をして参りました我々の立場から言つても、その成り行きについては心から憂慮を禁じ得ず、これにつきまして外務省といたしましても、只今まで非常な精一杯の努力をやつて、調査に盡力して参りました。